重大な犯罪を犯した精神障害者に対する、与党PTの新立法制度(仮称治療措置)案に対する見解

(社) 日本精神神経学会
精神医療と法に関する委員会
委員長 富田三樹生
2001年11月16日

 本委員会は、大阪児童殺傷事件に関連して、重大な犯罪行為をおこなった精神障害者に対する政府等の動向にたいして6月24日づけの見解を出した。また本学会理事会は6月24日づけの理事会見解を公表した。それらは、保安処分等の新たな法律による特別対策に反対し、広く指摘されている司法、精神医療双方の問題の改革をすすめることを優先すべきであるというものであった。しかし、政府の特別立法の方針は変わらず、自由民主党プロジェクトチームは10月31日、「心神喪失者等の触法及び精神医療に関する施策の改革について」を明らかにした。そこでは現状についての一定の問題の認識を示し、それに対応する施策として「治療措置制度」の創設がうたわれている。この治療措置制度を、公明党、保守党の政策責任者が入って、11月12日に与党政策責任者会議として報告書(このなかには「治療措置制度」との名称は使われていない)の中に盛り込んだ。なお、この会議には法務省、厚生労働省、最高裁事務総局からの出席もあり、この与党報告書は政府としの方針に反映されることが予想される。この与党案に対して、本委員会は、6月以後の議論を踏まえ見解を明らかにする。

1)与党PT提案の考え方について

(1)提案されようとしている新立法案の骨格、そのうちの収容処分は1981年12月のいわゆる刑事局案とその骨格において以下の点でほぼ同一である。対象である触法行為を重大犯罪とし、心神喪失または心神耗弱となった者を対象とし、入院、退院判断は裁判所判断(今回は判定機関が設けられる)とするということである。施設を国公立病院を予定しているのも同一である。この骨格は紛れも無く、すでに長年の経過において決着のついていた治療処分(保安処分)である。刑事局案は当時、本学会を含む厳しい反対にあい、日の目をみなかったものである。

(2)新たな収容処分は、検察官が不起訴処分にしたときは地方裁判所に申し立てる、としている。これは我々や多くの提言が指摘していた、検察官の支配的裁量権限のもとで、司法処理が不透明かつ不公正なものとなっている、という現在の起訴便宜主義の問題として指摘されている事態を何ら改善するものではない。責任能力判断については現在の問題点をさらにあいまいにし、現在簡易鑑定すらうけずに司法判断されているなどの実情をむしろ温存拡大するおそれすらある。出された提案が裁判所判断によるいわゆる司法上の治療処分であるのは問題のすり替えである。裁判所判断であれば治療処分でもよい、という根拠がどこにあるのか、我々は示されていない。

(3)与党案の第二に「精神障害者医療及び福祉の充実強化について」が位置付けられている。しかし、政策責任を負う与党の提案としてはあまりにも具体性に欠ける。精神科医療において、措置入院制度は行政処分として強制収容のもとにおける医療であるというのみならず、医療保護入院、任意入院も強制入院または行動制限をともなうことがあるものであることから、そこにおける医療は一般水準以上でなければその正当性は得られないとする法理にもとづくべきものである。しかるに我が国においては、ほぼ半世紀にわたって医療法特例のもとにおかれ、先の医療法改正においても精神科医療のみが特例に置き去りにされているのは重大な人権侵害であるとしなければならない。提案のなかに、現状に対するこのような認識が全くないことは深い失望を禁じ得ない。

2)提案の新立法制度について

(1)新しい立法制度は、国公立病院に新設される専門治療施設への入院処分と保護観察官の監督のもとにおける、いわゆる従来の云い方での措置通院制度によってなる。入院(所)、退院(所)は地方裁判所判断によっている。専門施設は国公立病院の中に設けるとある。「処遇は、より確実な治療効果・病状の判断のもとで入退院や通院の要否が決定されるべきであるという視点から精神科治療を受けさせるものとする」として医療的視点を強調しているにも関わらず、裁判所判断が必要な根拠を示していない。医療判断であるならば、裁判所判断となる必然性がないからである。

(2)判定機関は裁判官の補佐にとどまるであろうことが予想される。医療的視点が強調されているにも関わらず入院、退院は必然的に公安上の判断に従属するからである。

(3)この新たな施設の性格(司法施設か医療施設か)は明確に述べられていないが、論理上司法施設ということになろう。あるいは、医療施設ということになれば、知事による行政処分としての現行の措置入院との関係が問題になり、裁判所の公安上の判断と矛盾することになろう。予算、設置基準、国公立病院との関係等、収容期間や刑務所からの移送の有無等詳細は一切不明である。この制度が出来れば、我々が指摘してきた現在の司法、医療の矛盾が集中するのは必然であろうことは容易に予測ができる。

(4)最大の難点は退院判断の公安上の観点における再犯予測の問題である。予測の展望的研究はなされておらず、判断根拠になりうる予測研究は存在しない。たとえ、高度な確率で予測ができたとしても、間違えた過剰拘禁がまぬがれず、しかもその間違えた事実は誰にも気づかれないままとなる。退院したものに万が一でも事件をおこすものがあれば、過剰に退院判断の失敗が非難され、根拠の無い長期拘留が必然となる。このような人権抑圧が精神障害者であれば許される、と考えることこそが精神障害者に対す差別である。裁判官であればこのような問題のない再犯予測ができるとする根拠は無い。

(5)被害者、またはその遺族には判定機関の審議の傍聴を許すこととする、としているのは十分にその意味と現実的機能が考えられているのであろうか。与党案においては、応報感情から処分の重罰化、収容の長期化を意図しているのであろうか。そうであるとすれば、医療的観点を強調していることとどのような関連があるのであろうか。被害者の権利回復の問題は別途十分な吟味が必要である。

(6)措置通院制度については十分な検討がなされているとは考えられない。十分な地域医療システムが無いところで、保護監察官に責任をおしつけて何か実効性が期待できるのであろうか。

3)具体的提案

(1)被疑者段階での、糾問主義的な権限を持った検察官による起訴便宜主義が被疑者の人権を軽んじ、精神障害者、精神科医療を司法に従属させ、司法と医療の境界の不明確な相互利用という事態を生んでいるのである。そのような実情を改革するためには適法手続きの考え方を、刑事訴訟の在り方に十分に取り入れることが不可欠である。必要なのは、法律扶助等の飛躍的な拡充や、必要な医療が被疑者、被告人、受刑段階でも保障される人権の向上である。

(2)法を犯した精神障害者の司法処分を、誰からも検証されない検察官の判断で、一方向的に決定してから、25条通報等で医療に導くという過程に多くの問題がある。もともと起訴前簡易鑑定は責任能力判断を行うためにのみ導入されたものではないのであるから、それを医療判断としての機能を持たせることとする運用の改革を行うことは可能である。医療必要性、医療適応性において緊急性が高い者は医療処遇への転換を速やかに行い、刑事手続きが可能となった段階で刑事への移行を行うようにする。責任能力判断を厳格に行うべきものは正式鑑定を検証可能な形で行うことを追求すべきである。これらの改革のためには現在の鑑定のシステムにも改革(たとえば全国自体病院協議会の改革案がある)をおよばさなくてはならないであろう。現行法のもとでも可能な改革をぬきに、矛盾を特別施設のみに押し込むのは問題を複雑にするのみである。

(3)現在、犯罪を犯した精神障害者は矯正施設での処遇または措置入院によって収容、入院処遇が行われている。
 矯正施設における精神科医療の実情調査と並行して、早急な医療改革のための整備が必要である。ここにおいても、公権力のもとに強制収容されたものに対する人権上の観点から、水準以上の医療が保障されなけらばならないとする考え方が不可欠である。
 行政処分としての措置入院のみならず、強制処遇を伴う医療が、一般医療の水準よりはるかに低い基準のもとにおかれているのは重大な人権侵害であるとの認識から、医療法改正を行い、地域精神医療体制の整備が具体化されるべきである。

(4)実態調査について。

 現在早急にすべきことは、指摘されている現行制度における問題の実態把握とその改革の方向を示すことである。
 七者懇談会によって実態調査が提案されており法務省、厚生労働省等においてもそのような調査に積極的に協力、関与すべきである。調査項目はたとえば以下のようなものである。
 国公立病院精神科、措置指定病院の設備、構造、人員等の実情を含んだ措置入院制度の実態、各種通報制度、起訴前鑑定制度、起訴後鑑定等の実態調査を行うこと。矯正施設、医療刑務所等における受刑者、精神障害者の処遇、医療の実態調査を行うこと。
 犯罪を犯した精神障害者の処遇を中心に起訴前、起訴後の刑事訴訟における被疑者、被告人の人権、医療についての司法手続き過程の実情について調査を行うこと。
 それらを踏まえて改革の方向を出すこと。