■ [奪われた歳月]大阪・箕面ヶ丘病院

 ◆「ポチ」と呼ばれた患者
 10年ひもでつながれ  医師「人手あれば…」

02/02/01: 大阪読売夕刊2社面

 「ポチ」と呼ばれていた男性(59)に会った。様々な人権侵害が明るみに出た大阪府箕面市の精神病院「箕面ヶ丘病院」に入院していた患者だ。大勢が出入りするデイルームの一角に、ひもでつながれたまま寝起きし、用を足すのもポータブル便器。そんな違法拘束を十年近く受け、昨年八月に府の抜き打ち調査で問題が発覚、ようやく転院した。同病院は患者全員の転退院が終わり、一日、保険医療機関の指定取り消し処分を受けたが、奪われた歳月と人間の尊厳には何の償いもない。(科学部 原昌平)

◆半径2メートルの生活

 窓の鉄さくから腰に延びた二メートルほどの白い布ひも。その届く範囲が男性の動ける空間のすべてだった。リノリウムの床に畳一枚と布団が敷かれ、食事は便器のふたの上で食べた。ひもが外されるのは、たまの入浴と行政の立ち入り調査の時ぐらい。それでも温和な男性に、他の患者は「ポチ、元気か」と冗談半分で声をかけた。

 入院は二十数年前。精神分裂病との診断だった。法的には退院も外出も自由な任意入院なのに、「乾電池や鉛筆など目についた物を口に入れる」という理由でつながれていた。両腕が動かせない拘束衣を着せられた時期もあったという。

 拘束には、精神保健指定医の診察とカルテ記載が法律上欠かせないが、何の記録も残っていない。だから違法拘束の期間も正確にはつかめないが、関係者によると、十年前に異物を飲んで開腹手術を受けたあとは続いていたという。

◆あきらめ

 同病院は医師、看護婦とも法定基準の約半分という極度のスタッフ不足。状態の悪い患者を隔離する保護室もなかった。西川良雄院長は、患者が大声を出したりすると「何とかしろ」と、よく職員に命じていた。

 週一回、当直に来ていた医師は「人手があれば個々の患者に気を配れて、拘束せずに済むのにと思いつつ、言っても変わらないとあきらめていた」と語る。

 男性は生活保護で入院していた。長期入院になると、福祉事務所のワーカーはめったに訪れない。身寄りがなく、病院に苦情を言う家族もいなかった。

 同病院に長く勤めた職員はこう振り返る。「昔、府に内部告発した職員もいたが、だれが言ったか病院に伝わっただけで、何の手も打たれなかった。当初は何とかしたいと思ったけれど、めげてしまった」

◆償いの手立ては

 転院先で面会した男性は愛想よくほほ笑んだ。しかし病状の影響なのか、言葉はなかなか出ず、生年月日と出身地を聞き取るのがやっと。院内の生活は普通にでき、異物を口にする行動も今はないが、何かを説明したり、意思表示したりするのは難しいという。

 「民事訴訟は本人の意思が原則。後見人を立てるにもハードルが多くて……」と、障害者問題に詳しい弁護士はため息をついた。

 西川院長は、職員水増しで不正受給した診療報酬の返還請求と、精神保健指定医の資格取り消し処分を受ける見込みだが、刑事責任を問う動きはない。読売新聞の取材申し入れには応じていない。

◇写真=違法拘束が行われていた箕面ヶ丘病院。樹木で外側が覆われ、内部は見えない(箕面市稲5)

◇図=箕面ヶ丘病院の元職員が描いた男性の拘束の様子。こうした形で10年近く病棟デイルームにつながれていた。「ポータ」はポータブル便器

触診もせず「大丈夫や」/分裂病の治療薬1種類だけ 「30年前のまま」

02/02/02: 大阪読売夕刊夕B面

◆腸閉そく、転院せず

 昨年十二月、箕面ヶ丘病院(大阪府箕面市)に入院していた八十歳前後の男性患者が、異常なおう吐を繰り返し、腹痛を訴えた。

 西川良雄院長は、患者に触りもせず「大丈夫や。様子を見ろ」と言い、行われたのは栄養液の点滴だけ。二日後、非常勤の内科医が聴診とエックス線撮影で腸閉そくと診断、転院を求めたものの、院長は「必要ない」と主張した。

 その後も、痛み止めと吐き気止めを別の当直医が院長の了解を得ずに出した程度。「痛い、痛い」と訴え続けた男性は、異臭のする液体を吐くようになり、六日目に息を引き取った。老人性痴ほうだが、元気に歩いていた人だった。

 以上は、複数の看護職員が証言した経過だ。

 この種の腸閉そくは、鼻からチューブを入れ腸の内容物を取り出し、それでも悪化すれば手術が基本。どちらも転院しないと不可能だった。家族は「ここでできる範囲の治療でいい」と病院に伝えていたという。

 「あんなに苦しんで。『終末医療』ともいいようがない」と職員は憤る。

◆熱には風邪薬

 昨年八月に府が指導するまで、詰め所にはカルテも看護記録もなく、看護職員たちは、患者の病名も家族関係も薬の処方もよくわからないまま働いていた。

 院長の回診はなく、病棟の二、三階へ上がることもめったにない。体調の悪化した患者がいると一階に運ぶが、ひと目見ただけで「はよ連れていけ」。熱を出したら一律に風邪薬、高熱でも「水は飲ますな」、腹痛でも「メシは食わせろ」。解熱剤を出しましょうかと聞くと「お前は医者か」とどなられた。職員たちはそう証言する。

◆物言わぬバイト医

 精神分裂病への処方は、最初に開発された治療薬のクロルプロマジンばかり。他の病院の精神科医は「まるで三十年前のまま。薬の量は少ないが、どの患者にも画一的だった」と驚く。

 院長以外の医師は何をしていたのか。患者はひと月に一、二回、副院長の診察を受けたが、「調子はどうですか」などと聞かれる程度。一分ほどで終わっていたという。

 当直のアルバイトに来ていた兵庫医大、大阪大などの医師もあまり意見は言わなかった。「明らかに内科の病気でも『精神症状のせいや。様子を見ろ』と院長は言い張った。こちらはしょせん当直ですし……」と一人は打ち明けた。

 大阪府医療対策課は「(ずさん医療や事故がいくらあっても)医療法上、個々の中身に行政は口を出せない。病院と患者、家族の間で解決してもらうしかない」という姿勢だ。

隔離収容が作る「無気力」
手紙は燃やされ、公衆電話もなく/半数が入院20年超

02/02/04: 大阪読売夕刊夕B面

◆おとなしすぎて…

 「『指示待ち人間』というのか、こうしなさいと言えば何でも『ハイ』。買い物を勧めても自分では選べない。病状は軽く、会話は十分できるのに、意欲がなく自己主張に乏しい」 

 箕面ヶ丘病院(大阪府箕面市)から、三人の転院患者を一月に受け入れた民間病院の院長はそう話す。

 別の病院へ移った四十代の男性も似た状態だ。二十三年いた箕面ヶ丘病院への不満を尋ねても、現在の要望を聞いても、出てこない。母親は「一生預かって下さい」と言った。

 「息子が邪魔なのではなく、精神病院はそんな所だと思っている。病院が社会復帰に取り組むなんて想像もしなかったようです」とスタッフは当惑する。

◆31年目の自由

 箕面ヶ丘病院に昨年八月時点で入院していた百二十一人のうち、ほぼ半数は在院が二十年を超えていた。

 病棟では「看護人」と呼ばれる無資格の男性三人が目を光らせていた。外出はできず、娯楽や運動、日光浴の機会もなく、ベッドで寝るかテレビを見て過ごす。掃除、配ぜん、体の不自由な患者の食事・入浴介助といった院内労働だけが、たばこなどと引き換えに用意されていた。

 三十一年前、病院ができた年に入院した男性(69)は毎年、府が立ち入り調査に来る日に小型バスに乗せられた。行き先もなく走り回るバスは「余計なことを言わせないため」だった。

 「いくら手紙を出しても相手に届かない。燃やされたと後から聞いた」が、調査の日だけは病棟に公衆電話が置かれた。残った患者には「自由にかけられます、と答えるんやで」と西川良雄院長が言い含めた。

 転院先では開放病棟。ほぼ毎日外出する。「自由の実感はわかないけれど、この病院も早く出て、残された時間を生かしたい」

◆医療の名の下に

 長い歳月を経てなお反発心を持ち続けた彼のような患者は珍しい。

 府の改善指導を受けて昨年秋、散歩や買い物に出た患者の多くは、同行した看護婦に幼児のようにしがみついて離れなかった。「外の世界がこわいんですよ」と看護婦は言った。

 「収容所症候群」という言葉がある。ナチスの強制収容所や刑務所の無期囚などで報告された現象だ。期限なき隔離収容は、無気力、無関心で、管理に従順な人間をつくるという。

 日本の精神病院の入院患者は三十三万人。その半数は入院が五年以上、二十年以上も五万人にのぼる。

 「意欲の低下や自閉傾向は精神分裂病の慢性症状とされるが、病院収容がもたらす影響も大きい」と黒田研二・大阪府立大教授(地域保健福祉)は指摘する。

 医療の名の下に人生を奪われているのは、箕面ヶ丘病院の患者だけではない。

■診療報酬不正受給 「箕面ヶ丘病院」の保険指定取り消し/大阪社会保険事務局

02/02/01: 大阪読売夕刊2社面

 大阪社会保険事務局は一日、診療報酬を不正受給していた大阪府箕面市の精神病院「箕面ヶ丘病院」(百二十八床)の保険医療機関の指定と西川良雄院長の保険医登録を取り消す処分をした。

 同病院は医師、看護職員数を水増しし、実態より単価の高い入院基本料や食事療養費を得ていた。不正額が確定すれば40%のペナルティー付きで返還を求め、患者側の自己負担分の差額も返還を指導する。